Melian

無駄に文字のでかい感想文。

推しの誕生日を祝いたかった。

VERIVERYというグループで活動をしている推しのホンミンチャンくんが916日誕生日です。

彼は隣国のアイドルでその彼の誕生日を祝う言葉を異国の言葉で綴ることは果たして良いものなのかと考えますが、やはり私は拙くても母国語であるこの言葉でしか推しの誕生日につらつらと今の自分の感情を書くのは、どうしてもこういう形しかないのでこれを書いています。Twitterに流せばいいんだろうとは思ったのだけれど、Twitterというツールはどうしても流動的なものに感じてきっと今の自分の気持ちを後で見返せるのはブログだからここに書きます。

 

 

最近隣国は連休のこともあり、推しが幼少期の頃の写真をSNSに上げてくれることが多く、その姿が凄く愛らしいからふと思って1998916日に推しが生まれた以外に何が起きたのか調べてみると日本だと負の遺産みたいなことばかり起きていて悲しくなりました。やはり太陽みたいなお子が生まれるとそれの影ができてしまうんだなと壮大なことを考えたりなどした。

 

 

推しがアイドルじゃなかったら私は彼の誕生日を知らなかったわけで、こうして彼の生まれた日を祝いたいという感情も生まれることはなかったんだと思うと凄く低い確率のことが積み重なって今日になっているのは冷静に凄いことだと思う。

推しはアイドルだけれど、私はサイン会に行くようなファンでもないので、推しと話したこともないし、その関係にファンとアイドルというものを無くせば本当に見ず知らずの他人という括りのものになる。

だから、私は隣の国で推しの誕生日を勝手に祝おうとする行為はまあ異質なものではないかと考えたりもするけれど、それを許容されている事実が嬉しいと感じるし、純粋に推しが生まれてくれたということが嬉しいし、その日をファンに公表してくれていることが嬉しい。これは面白エピソードになってしまうかもしれないのだが、昔好きな歴史上の人物がいて私は本当にその人が好きだったんだが、誕生日が不明な人物だった為命日しか知ることができず、なんとも遣る瀬無い気持ちになっていた。だから、生まれた日という完全に明るいエピソードの詰まっているだろう日を知れることはとても私の中で大きいことであり、本当にめでたいことだと思う。

推しの誕生日に命日のはなしをするのもどうかと思うのでこの話題はここで終わる。

 

 

 

 

今はインターネットの普及で動画コンテンツやSNSで推しの動向をみることができてそのおかげで色々なものを知ることができると思うし、私が彼を好きになった時よりも格段に彼がどういう人間なのかとかは感じ取ることができた。それでもそれは彼の一部なわけで、私自身が昨年の誕生日から、推しがこの一年どんな風な感情を持って生活してきたとかどんな苦悩があったとかどんなことを幸せだと感じたかを私は知ることはできないなと感じる。当たり前である。でも彼が一般人だったらまずその一部すら私は感じることができないし、本当にアイドルになってくれなかったら、これも無いんだなと思うと奇跡だなと思う。

 

 

私が中学生時代から好きな音楽グループであるアーバンギャルドの松永天馬氏の言葉に「(中略)あなたの気持ちは分からないし、あなたにはなれないだろう。しかしあなたと私が「違う」という絶望が希望に転じる瞬間があるのではないか。相手と分かり合えるかもしれないという希望を、人は恋と呼びます」というものがある。私は別に推しのガチ恋でもなんでもないし、ここまで深い関わりを求めていないが、アイドルであったり、俳優であったり多種多様のバリエーションのとんだ人間が表舞台に立っているなかで、特定の人間を知ろうとすることが推しを好きということに関係しているのではないかとこの言葉を見るたびに思う。だから、こうやって彼の誕生日を心からおめでたいと思うわけで。

 

 

どんどんこの記事の趣旨がずれている気がする許してほしい。

正直永遠はないので来年この日に、私がミンチャンくんの誕生日をおめでとうと言っているかどうかはわからないし、もしかしたら違う誰かが好きかもしれない。だから今日という日に彼の誕生日を祝って幸せを願えることは貴重なことではないかなとより思う。

今さっきTwitterにミンチャンくんがツイートで親から祝ってもらった旨のツイートをしていて感情が滅茶滅茶である。愛されているなぁと感じる。本当に写真節々に愛されて育ったし、そして現在進行形で愛されているのが伝わってきて本当に唇をかんだし泣きそうになった。美しいですね。愛は。こんなに愛のあるケーキの写真とかあるだろうかと思う。小川洋子の小説でケーキが腐っていくシーンに不幸を感じる女なので、推しがTwitterであげたケーキの写真に本当に本当に幸せの象徴を感じてしまって泣きそうになっている。ケーキ。親が子供を祝うために用意した食事とケーキってなんでこんなにも愛を感じるんだろうか。手作りだろうご馳走が並んだ食卓ってどうしてこんなに愛を感じるんだろう。なんでだろう。今の感情愛だな愛されてるな推しはすごく愛されて愛されて愛に囲まれてほしいなと思う気持ちになってる。彼の不幸がお菓子ちょっとまずかったとかそんなんだったらいいなと思う。そして、多分歳をとってからの一年全部が全部幸せなわけではないとは思う。辛いと思う日悲しいと思うし、たくさんそういう日があると思うけれどそういう日に無理に幸せにならなければならないとか思わずに辛い日は辛いとか、悲しい日は悲しいとかそういう風に思える心を大切にしてほしいし、泣きたい時は泣いていいし、笑いたい時はいっぱい笑ってほしいと思う。

でも、やっぱり推しにいっぱいいっぱい幸せな思い出が増えてほしい、苦しいこととかはどっかに飛んでってほしい、幸せになって妬まれるくらいに幸せになって色んな人に愛されて生きてて楽しいなって思ってほしい。

限界職業と言われる業界に身を置いて汚いものもみなければいけないと思うけれど、それよりも綺麗な景色をたくさん見てそれを塗り替えて幸せになってほしい。幸せの押し売りほどファンのエゴだけどやはり推しには幸せになってほしいと思ってしまう。

幸せになってほしい。心から思う。

 

 

長々と書いてしまった。

最後にミンチャンくんにとって誕生日のこの日が幸せな1日であると共にまた歳を取るときにこの一年感幸せだったなと感じられますように。